「全国一般風ノ向キハ定マリナシ。天気ハ変ワリ易シ。但シ雨天勝チ」
1884(明治17)年6月1日。
日本で初めての天気予報。
たった一文の天気予報も当初は貴重な情報だった。
科学技術の進歩と共に人の欲求も高くなり
溢れる情報には慣れていく。
全ての情報を手放して空を見て五感を研ぎ澄ませ
自然のまま身を委ねる日があってもいいのではないか。
1875(明治8)年6月1日に現在の気象庁の前進である東京気象台が設置されたことを記念して、1942(昭和17)年に気象記念日が制定されました。
日本で初めての天気予報は今と比べると非常にシンプルなものですが、百数十年かけて、現代のような詳細な気象情報へ進化しました。
日本の天気予報は世界で見ても詳細で信頼度の高い情報です。
日本列島は、モンスーンの影響で梅雨があり、南海上からは台風が襲来、南北に奥羽山脈を連ね、西側には大陸、シベリア方向から強い寒気が流れ込み、日本海で水蒸気を供給して大雪をもたらす。独特の気候を持つ反面、自然災害と共に暮らしてきました。
災害から命を守るために、日本の気象の技術は急速に発展してきたのです。
技術開発や情報発信が進む一方、予測を上回る甚大な気象災害が発生しているのが今の状況です。背景にあるのが地球温暖化(気候変動)。
私が気候変動について興味を持ったのは、2014年ニューヨークの国連本部で開かれた気候サミットがきっかけでした。
多発する気象災害の要因は長年蓄積してきた温室効果ガスにあることを真剣に考えていかなければならない、事実を正確に伝えていかなければならない。
情報を発信する立場として、大きな責任を感じたのです。
当時、世界気象機関(WMO)より世界各国の気象キャスターが迎えられ、2050年の天気予報を制作しました。どんな未来が待ち構えているのかを、最新の気象科学に基づいて映像化し、リアルに感じ取ってもらうためです。
8年が経ちましたが、気候変動問題に対する政策や人々の意識は大きく変わっていません。
仮に2050年の天気予報を現在の最新の値で制作すれば、もっと状況は悪くなっています。
6月は環境月間でもあります。
1972(昭和47)年6月5日ストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念して定められました。
世界で環境について動き出したのは1970年代。
今にかけて何がどう進められてきたのか。
環境についてじっくり考える1か月にしたいと思います。